イースターに思われたこと

私にとっても、また主を信じるすべての人々にとっても、主イエス・キリストの復活はどんなことにも代えることのできないすばらし出来事であり、みんなが喜び祝う時を過ごしたことと思います。

その喜びの中にあって、私は主が十字架にかかられる以前の主に従った弟子たち、また主の愛の中にあった女性たちのことを考えています。

弟子たちは何度も主からご自身が十字架につけられて葬られ、蘇られることを主のお話のなかで聞いていました。

しかし、実際に主がユダの裏切りによって捕らえられ、十字架につけられて葬られてしまうと飼い主のいない羊のように、ただおびえているだけの群れとなってしまいました。

いっぽう女性たちは、主の遺体にできるだけのことをしようと、週の初めに主の葬られた墓にいろいろな心配をしながらも出かけていきました。

弟子たちは男性なのにただみんなで閉じこもっているだけの情けない状態になってしまっていたのに、

いっぽう弱いはずの女性たちは心配しながらも主の墓に出かけて行ったことで、心配していたことがすっかり解決されていて主のすばらしい復活の出来事を知ることができました。

この違いは何だったのでしょう。

強いからか、知識があるからか、知恵があるからだろうか。

これらの女性たちはただひたすらに主を慕っていただけではないか。

私はこんなことをこのイースターを通して思っています。

 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

だれであれ、求める者は受け、探す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。新約聖書 マタイ 7:7,8

 

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