キリストの花嫁

幸いな人よ、キリストの花嫁となる人は。

人間は必ず、死ななければなりません。その死をどのように迎え、受け入れていくのか大問題です。
しかし、このたびある兄弟が、私はキリストの花嫁になるのだと、言っておられたと聞いて私は、本当にキリストの花嫁になりたいと思いました。

キリストを信じた人々の集まりを教会と言いますが、もちろんキリストの体である教会は、キリストの花嫁です。

しかし、キリストを信じた者一人一人がそれぞれキリストの花嫁となるためにこの世に置かれているとも言えると思います。

そのため、女の人ばかりではなく、男の人もまたキリストの花嫁となるべく、キリストと結婚をするための婚約期間であるとも言えると思います。

そのために神は、主キリストが聖であられるように私たちにも聖くなることを求めておられるのだと思います。

しかし、私たちの力や、努力では神様の求めておられる聖なる存在となることは全くできないことは私たちは十分に知っています。

義人はいない。一人もいない。新約聖書 ローマ 3:10

しかし、私たちは神が求めておられることになんとか応えたいと思います。しかしできない。

それで叫ぶのです。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。新約聖書 ローマ 7:24

それではだれが私たちをこの神の求めに答えさせてくださったのでしょう。

私も最近神様のなされかたを思っています。それは私たちに最悪だと思えることさえも用いて私たちの聖さを用意していてくださるということです。

キリストの花嫁にふさわしい存在としてくださるのは、私たちの側ではなく、キリストご自身であり、御霊であり、神ご自身であられることと思えるようになってきました。

私たちをしみもなく、非難されることもない、キリストの花嫁としてふさわしい存在としてくださるのは、神、御子、御霊の三位一体の神様であることは疑うこともできません。

私もまた、主に叫び、願い、求め続けてまいりたいと思います。