うつ病

今私は、うつ病について思案しています。この病はなかなか厄介な病だと考えています。
しかも、誰にでも起こりうる病ではないのかとも思います。
またお医者さんにとっても必ず治療し、治せると断言できない病ではないでしょうか。

私自身も病とまではいかなくとも、ふさぎこんだり、自分の殻の中に閉じこもったりすることもたびたびあります。
人との交わりも、鬱陶(うっとう)しくなってしまうこともあります。
それではいけないと思っても実に人との人間関係は煩わしいと思われることがあります。

こんなことで本当に多くの方が、鬱病(うつびょう)予備軍ではないでしょうか。
しかも、この病の恐ろしいことは自殺にまで発展してしまうことが多いことではないかと考えています。

もうニッチもサッチもならなくなって、生きているのに耐えられないとまで考えるようになり、自殺をしてこの苦しみから逃れようと考えるようになるのではないのかと考えられます。
また絶望感に苛まれてしまうこともあると思います。

これら以外にも鬱病の原因は沢山あるでしょう。

しかし、人間関係に破れ、誰にも話せなくなっているのがその病の大きな原因となっているのですから。
これらの諸々の事に取り囲まれていても、本当に信頼できる方が居て、いつでも話ができて、また耳を傾けて聞いて、答えてくださる方が居れば、安心。

その方を見出した者は幸です。

彼に信頼する者は、失望させられることはない。新約聖書 ローマ 10:11
この方は主イエス・キリストです。

また具体的にはどうしたらよいのでしょうか。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 新約聖書 ピリピ 4:6-7

真の平安、神の平安がすべての人に与えられますように。

後期高齢者となって

私は、今年の9月25日で75歳の誕生日を迎えました。
今、私のこれまでの生涯を振り返ってみると、何一つ良い実を結んでいないことが思われています。

詩篇には、
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。旧約聖書 詩篇 第一巻 1篇1−3

このように主を信じる者には豊かな実を結ぶことが約束されています。

また、新約聖書には、神様が実らせてくださる御霊の実について次のように言われています。
御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。新約聖書 ガラテヤ 5:22

本当に、慕わしいですね。

しかし、残念ながら、私にこのような実が結ばれているのでしょうか? ノー

だからこそ、主は私を直腸癌から、また前立腺癌から私を癒やし、また、私が男性ホルモンが活性化する事のないように、薬と注射で、みだらな思いを持つことができないようにしてくださいました。

本当に、私の側では、生まれながらの欲望をただ満たすことしかできない者であることをつくづく実感しています。

酒のことでもそうです。離婚という出来事を通して私は一滴の酒も飲まないと決心させられました。
何よりもこの離婚を通して子どもたちに謝っても謝り切れない負債を負ったことを実感として受け取りました。
この負債は、私にとっては負いきれない負債でした。そこで、この私の罪が思われて全部イエス様に負っていただくしかなかったと今は思っております。
このようなことがあって、頑なな私も、イエス様が私に代わって十字架で死んでくださったことを存在を持って理解させられました。

ただただ、神様の憐れみによって滅ぼす代わりに神様の良きものを持ってこれからの私の人生を導いてくださいと祈るものです。
そして、この年まで神様は私を生かしてくださっているのは私の上に神御自身の御計画があるからだと思います。

私のためにお祈りください。