決して忘れてはならないこと

主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。旧約聖書 イザヤ2:4

日本が先の大戦を経験して学んだことで最大のことは何だったのだろうか。よく目を覚まして考えてみたいと思います。
戦後70年たって日本の国民が忘れてしまって取り返しのつかないことにならないようにと願っています。

敗戦を日本は経験しました。広島と長崎には原子爆弾が落とされ二つの市は壊滅的な廃墟となり、生き残った方々もそれこそ生き地獄を味わいました。
また、首都東京も焼夷弾で焼け野原となり、ほかの地方都市も空襲を受け日本国中が焦土となりました。

特に沖縄県は地上戦を経験して悲惨な国民を巻き込んだ戦いとなりました。さらに、アメリカの統治を日本が独立してからも続けて受けて、その土地は撤収されて基地となって日本に帰属した今も多くの基地が存在します。

日本が敗戦で大きな被害にあっただけではもちろんありません。特に、中国、韓国の国は日本の支配を大きく受け、韓国は日本の植民地となり大変な屈辱を味わいました。また中国は満州国という日本の傀儡国を作られて、日本の資源のために利用されました。

これら以外の国にも多くの被害、損害を与えたことは事実です。

これらの国の方々が日本を恨んだとしても不思議ではありません。

よく言われることがあります。加害者は忘れることがあっても、被害者は決して忘れないと。

それはそうでしょう。ひとつ殴られたら、十倍に返えしたいこれが人間の性とでもいえると思います。

それなのに今、日本がしたこれらのことを許していただいていることはなんと感謝なことでしょうか。

それで日本は、決意したのです。

戦争は二度と決してしないと。

武器を持つと使う。戦力を持つと利用しなければと、これも、人間の性です。

それで日本は憲法9条を明記した憲法をあの敗戦で受け入れて、日本の繁栄がもたらされたと私は考えています。

私も、先の大戦で父を亡くしました。私の母は実家に帰って私を育てました。

戦争になると、人間は人間でなくなります。まさに狂気の人間がそこには居るだけです。

この地にキリストの平和が支配しますように。

日本の歩むべき道

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければだれひとり父のみもとに来ることはありません。 新約聖書 ヨハネ 14:6

総選挙が12月16日(日)行なわれました。政権与党であった民主党は230議席から57議席へと大幅に議席を減らしました。

反対に自民党は118議席から294議席、公明党は21議席から31議席へと合わせて325議席を獲得しました。

その結果、衆議院で可決された法案が参議院で否決されてももう一度衆議院で可決されればその法案は成立します。

決められない政治から決められる政治へと変わりどんどん法案が成立すると思われます。

しかし、目出度し、目出度しと本当になるのでしょうか。

国民は何を望んで投票したのでしょうか。

戦争の出来る国になることでしょうか。

または再び原発事故が起こることを望んででしょうか。

また再び津波の被害に会うことを望んででしょうか。

外国とのいさかいが増し加わることを望んででしょうか。

国内の混乱を望んででしょうか。

そんなことは誰も望んではいないはずです。

日本の国が、技術立国であり続け、また美しい自然が保たれるように、農業、林業、漁業がこれからの世代に受け継がれ、経済的にも余裕のある国家で在り続けるようにとの思いを持って投票されたことと思います。

今回誕生した安倍政権が平和を愛し、再び津波や、原発事故によって悲惨な経験をすることのない、また平和国家を維持し国民が安全に、安心して生活してゆける国家を建設してくださるようにと望みます。

そして一番望むことは、日本の国民すべてが、主イエス・キリストを信じて父なる神にはばかることなくまみえることが出来るようになることです。

イースターに思われたこと

私にとっても、また主を信じるすべての人々にとっても、主イエス・キリストの復活はどんなことにも代えることのできないすばらし出来事であり、みんなが喜び祝う時を過ごしたことと思います。

その喜びの中にあって、私は主が十字架にかかられる以前の主に従った弟子たち、また主の愛の中にあった女性たちのことを考えています。

弟子たちは何度も主からご自身が十字架につけられて葬られ、蘇られることを主のお話のなかで聞いていました。

しかし、実際に主がユダの裏切りによって捕らえられ、十字架につけられて葬られてしまうと飼い主のいない羊のように、ただおびえているだけの群れとなってしまいました。

いっぽう女性たちは、主の遺体にできるだけのことをしようと、週の初めに主の葬られた墓にいろいろな心配をしながらも出かけていきました。

弟子たちは男性なのにただみんなで閉じこもっているだけの情けない状態になってしまっていたのに、

いっぽう弱いはずの女性たちは心配しながらも主の墓に出かけて行ったことで、心配していたことがすっかり解決されていて主のすばらしい復活の出来事を知ることができました。

この違いは何だったのでしょう。

強いからか、知識があるからか、知恵があるからだろうか。

これらの女性たちはただひたすらに主を慕っていただけではないか。

私はこんなことをこのイースターを通して思っています。

 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

だれであれ、求める者は受け、探す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。新約聖書 マタイ 7:7,8

 

台風のような強風

猛烈な風が日本中に吹き荒れました。

新潟市では電柱が何本も横倒しになり根元から折れて倒れていました。

北海道では観光バスが雪の中に横倒しになっていました。

ここ鍋掛の地でも、周りは竹林ですが、竹が風で猛烈にしなっていましたし、

木々が、根元から抜けて倒れて、道を塞いでいました。

それで、のこぎりを持って、木を切って取り除く羽目になってしまいました。

結構汗だくになりました。

亡くなった方も何人かおられ、けが人はかなりの数に上ったと報道されていました。

自然災害が、どんどん大きくなっているような気がします。

心配事が絶えない今日この頃です、

主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。旧約聖書 民数記6:26

あらゆる人知を超える神の平安が、あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。新約聖書 4:7

春らしくなって

まだこの鍋掛の地は春とは言っても朝方は氷点下でうっすらと水の表面は氷がはっています。

しかし、私のいるところはまわりが農地ですので農作業がもう既に始まっています。

農家の方々は4月から放射能の基準値が引き下げられてその基準をクリアーできるかどうか不安の中に農作業をされているかと思うとその心中が思いやられます。

今や、人の働きが自然を破壊し、疲弊させ、動物、植物、魚、その他諸々の生きるものをいろいろな形で追い詰めて滅ぼしている現実を目の当たりにしています。

私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。 新約聖書 ローマ 8:22

これは、人間の罪の故であることは言うまでもありません。

しかし、神はそんな中にあっても人のために、太陽をのぼらせ、雨を降らせ、食物を与え、花を咲かせ、多くの良きものをもって顧みておられます。

神の忍耐と人に対する哀れみは計り知れないものがあります。

人とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは、 旧約聖書 詩篇 8:4

私たちは天地創造の神ご自身が私たちをどのようにして誕生させてくださったかを知る必要があると思います。

創世記には、神が天地を造りすべてのものを整えられた後、人を誕生させてくださったことが記載されていますが、

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 旧約聖書 創世記 1:26、27

このことをしっかりと私は受けとめたいと思います。
そして、神様の恵みの大きさを存在をもって体験したいと思います。

野や、山、川、海、今春の息吹に神に創造された被造物全体が創造主であられる方に、どのように応えていけば良いのでしょうか。

日よ、月よ、主を賛美せよ。輝く星よ、主を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。詩篇148:3、5
主よ、私たちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。黙示録4:11
(ローズンゲン日々の聖句3/27)

2012-03-27

明るく、楽しい、興味のあること

いつも深刻に思いつめて悩んでいてはならないことを思わされています。
明るく、楽しい、興味のあることに目を向けたいと思います。

私のまわりが、明るくなる、楽しい、と思える存在になりたい。
そんなことを思っています。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えに勝る神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 新約聖書 ピリピ 4:6

心の中にある、苦しみ、悲しみ、悩み、思い患いのいっさいを、イエスさまに申し上げて全部イエスさまに引き受けていただいて歌いながらやっていこうそんなおもいです。

2012-03-26

イエス・キリストの代価によって

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるためであるのと同じです。 新約聖書 マタイ 20:28

主イエス・キリストが多くの人の受けるべき罪の刑罰を代わりに引き受けてくださったことがここにしるされています。

しかし、この恵みは多くの人のためであると同時に、私のためでもあります。

罪を犯すしかない私はイエス・キリストが十字架にかかって死んでくださらなかったならば神の激しい怒りを受けて永遠の苦しみを続けるしかありません。

永遠に呪われた存在としてどんなに苦しい、辛い、苦痛を持って存在し続けなければならないかを思うとき、

このイエス・キリストの贖いの代価の大きさを、重さを感じざるを得ません。

この恵みがどんなに大きなものであるかは、私の考えをはるかに越えていることでしょう。

そして、この恵みが私が破壊してしまった家族(妻、子供たち)、また親族にまでも主の哀れみの故に及びますようにと願っています。

2012-03-25

私は弱い時にこそ強い

イエス・キリストは言われた「私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」 新約聖書 2コリント 12:9

私はこのみことばを本当に信じきったならどんな困難の中にあっても大丈夫ではないかと思いました。

主は私が弱い時にこそ神の全能の力を示してくださるとおっしゃるのです。

私はどっと力が抜けてしまいました。
いつのまにか力が入っていました。何と言うことでしょう。
信仰ということで力んでいたのでしょう。

まったく、馬鹿げたことです。
肩に力が入っていました。悔い改めます。

パウロは、「キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」と言いました。

私も、パウロのように私の弱さを誇ってまいりたいと思います。

そして私も言いたいです。

ですから、私は、キリストのために、弱さを、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 新約聖書 2コリント 12:10

2012-03-24

不敬虔な者を義と認めてくださる方

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。 新約聖書 ローマ 4:5

なんと有難いみことばでしょう。自分からは正しいことなど何一つ出来ない、ただ悪をなすことしか出来ない者、すなわち不敬虔な者を義、すなわち正しい者として認めてくださるというのです。

そのようなお方を信じるなら罪を認めないと言われるのです。

そんな都合の良いことがあってはならないと誰しも思います。

しかし、父なる神は御自身のひとり子であられる我らの主イエス・キリストを私たちに代わって罪人とし身代わりに十字架に架けて葬り、死に渡されました。

このことによって天地創造の父なる神が、私たちを正しい者としてくださるというのです。

私自身このみことばがなければ、ただ絶望があるだけです。

なぜなら、私は自分からは正しいことなどまったく出来ないただ罪を犯すだけの者であることを知っているからです。

私は,ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 新約聖書 ローマ 7:24

なんど私は,呻き,叫んだことでしょう。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり,そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 新約聖書 1テモテ 1:15

事実これが私の姿です。

しかし、私は今、ハレルヤ!と叫びます。

主イエス・キリストが私に代わり十字架上で死んでくださり神の刑罰を余さず受けてくださったことにより私の罪は許されました。

さらに、主イエス・キリストは三日後に復活され天に昇り神の右にあって私たちのためにとりなしをしておられます。

そして再び来られます。

この主イエス・キリストを信じるなら神は私たちを義すなわち正しい者と認めてくださるのいうのです。

感謝します。

2014-05-02

神の子どもとなるために

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。 新約聖書 1テサロニケ 4:3

今の私は、実に人間的に見るならば、まさに惨めな希望のない状態にあるといって過言ではないと思います。

今までにもお話ししたように、直腸癌で手術をし、更に今度は前立腺癌が発覚してそれも骨にまで転移をしていることが骨シンチグラフィによってはっきりとされました。

骨にまでの転移がないようにと願っておりましたが、実に残念なことには骨にまで転移していました。

本当にがっくりしてしまいました。

しかし、ここで私は思いました。

私にはどうにもならないことで悩んでいたことが、二つありました。

その一つはお酒の依存症でした。もう一つはポルノを見ることをどうしても止められなかったことでした。

お酒の依存症では、家庭の破壊を経験しました。そのことによって私は酒を止めることができました。

今、ポルノに関しては前立腺の癌の発症によってホルモン療法を行うことによってその関心を断つことができたと思っています。

このように私は主イエス・キリストを信じたと言っても、このような欲望には打ち負かされてきました。

なんと惨めな人間でしょうか、しかし、今は私の悩みであった、ポルノから開放されたことを感謝しています。

罪から離れることは容易ではないことを私は知っています。

今度のことを代償としたとしても、

情欲から開放されたことのほうが、私にとっては良かったと思えるからです。

『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫をおかしたのです。
もし、右の目が、あなたをつまずかせるのなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。 新約聖書 マタイ 5:27ー30

この主のみことばの重さを今ははっきりと受け止めています。

ハレルヤ!

これからどのように主イエス・キリストが私に関わってくださるのか主に期待してどのようなことになったとしても、主を喜び、主に祈り、主に感謝をささげていきたいと思います。

2012-03-10