大竹 信義 について

杉並区阿佐ヶ谷にある久遠キリスト教会の教会員です。1979年12月23日に洗礼を受けました。 2007年3月19日から栃木県那須塩原市鍋掛に来て祈りの生活を始めました。 日本の国が、主イエス・キリストを信じる人たちの群れで満たされるようにと祈っています。 救い主イエス・キリストを聖書から紹介するのが私の願いです。 

薬物依存症

かつて私はアルコール依存症でした。

今、音楽家のアスカさんが再び薬物使用の疑いで逮捕され、起訴されようとしています。

いったんは、有罪の判決を受けて、執行猶予中でした。

本人も深く反省し再び薬物を使用しないことを誓いました。

また家族も、知人も、友人も、アスカさんが再び音楽活動ができるようにと願っておられると思います。

多くのフアンの方々もそのことを願っておられると思います。

報道によりますと、薬物依存症を治すためにいろいろな手段や、治療が行われたことがわかりました。

しかし、それにもかかわらず再び薬物を使用してしまいました。

私はアルコール依存症でしたが、薬物依存症はさらに強力な依存症ではないかと推測しています。

その快楽性は想像を絶しているのではないでしょうか。

自分の決意や、意志の力では到底太刀打ちできるものではないと思われます。

ですから、再び薬物を使用しないことを誓ったとしてもその力がありません。

薬物があれば使用します。売人と接触があれば何としてでも購入します。

また治療には長い時間もかかります。

常に何かにつけ、特に本人にとって音楽活動するためには使用したいという誘惑があると思います。

なんと厄介な依存症でしょうか。

天のお父様このような薬物依存症に陥っているアスカさんを助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

彼に信頼する者は、失望させられることがない。新約聖書 ローマ10:11

主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。新約聖書 ローマ10:13

12月20日にアスカさんが疑い不十分で釈放されたとお聞きしました。

アスカさんのブログによればご自分は無罪とおっしゃっています。その通りであれば、嫌疑も、報道も、私自身のコメントも間違っていたことになります。

アスカさんに謝罪したいと思います。

神が私たちに与えたいこと

世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。新約聖書 1ヨハネ 5:4

世に打ち勝つ勝利とはどういうことでしょうか。
私たちはお父さんとお母さんのと間にこの世の中に誕生しました。そして、現実に肉体を持ってこの見える世界に生きています。

それぞれ生まれかた、環境、生き方はみんな違っています。そして、満足して生きている方もいますし、不満だらけで生きておられる方もいます。十人十色であるといってよいと思います。

しかし、最後は満足して生きておられる方も、不満だらけで生きておられる方も必ず死ななければなりません。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。 新約聖書 ローマ 8:37-39

このような勝利の人生を与えたいと思っておられるのではないのでしょうか。

キリストの花嫁

幸いな人よ、キリストの花嫁となる人は。

人間は必ず、死ななければなりません。その死をどのように迎え、受け入れていくのか大問題です。
しかし、このたびある兄弟が、私はキリストの花嫁になるのだと、言っておられたと聞いて私は、本当にキリストの花嫁になりたいと思いました。

キリストを信じた人々の集まりを教会と言いますが、もちろんキリストの体である教会は、キリストの花嫁です。

しかし、キリストを信じた者一人一人がそれぞれキリストの花嫁となるためにこの世に置かれているとも言えると思います。

そのため、女の人ばかりではなく、男の人もまたキリストの花嫁となるべく、キリストと結婚をするための婚約期間であるとも言えると思います。

そのために神は、主キリストが聖であられるように私たちにも聖くなることを求めておられるのだと思います。

しかし、私たちの力や、努力では神様の求めておられる聖なる存在となることは全くできないことは私たちは十分に知っています。

義人はいない。一人もいない。新約聖書 ローマ 3:10

しかし、私たちは神が求めておられることになんとか応えたいと思います。しかしできない。

それで叫ぶのです。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。新約聖書 ローマ 7:24

それではだれが私たちをこの神の求めに答えさせてくださったのでしょう。

私も最近神様のなされかたを思っています。それは私たちに最悪だと思えることさえも用いて私たちの聖さを用意していてくださるということです。

キリストの花嫁にふさわしい存在としてくださるのは、私たちの側ではなく、キリストご自身であり、御霊であり、神ご自身であられることと思えるようになってきました。

私たちをしみもなく、非難されることもない、キリストの花嫁としてふさわしい存在としてくださるのは、神、御子、御霊の三位一体の神様であることは疑うこともできません。

私もまた、主に叫び、願い、求め続けてまいりたいと思います。

うつ病

今私は、うつ病について思案しています。この病はなかなか厄介な病だと考えています。
しかも、誰にでも起こりうる病ではないのかとも思います。
またお医者さんにとっても必ず治療し、治せると断言できない病ではないでしょうか。

私自身も病とまではいかなくとも、ふさぎこんだり、自分の殻の中に閉じこもったりすることもたびたびあります。
人との交わりも、鬱陶(うっとう)しくなってしまうこともあります。
それではいけないと思っても実に人との人間関係は煩わしいと思われることがあります。

こんなことで本当に多くの方が、鬱病(うつびょう)予備軍ではないでしょうか。
しかも、この病の恐ろしいことは自殺にまで発展してしまうことが多いことではないかと考えています。

もうニッチもサッチもならなくなって、生きているのに耐えられないとまで考えるようになり、自殺をしてこの苦しみから逃れようと考えるようになるのではないのかと考えられます。
また絶望感に苛まれてしまうこともあると思います。

これら以外にも鬱病の原因は沢山あるでしょう。

しかし、人間関係に破れ、誰にも話せなくなっているのがその病の大きな原因となっているのですから。
これらの諸々の事に取り囲まれていても、本当に信頼できる方が居て、いつでも話ができて、また耳を傾けて聞いて、答えてくださる方が居れば、安心。

その方を見出した者は幸です。

彼に信頼する者は、失望させられることはない。新約聖書 ローマ 10:11
この方は主イエス・キリストです。

また具体的にはどうしたらよいのでしょうか。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 新約聖書 ピリピ 4:6-7

真の平安、神の平安がすべての人に与えられますように。

後期高齢者となって

私は、今年の9月25日で75歳の誕生日を迎えました。
今、私のこれまでの生涯を振り返ってみると、何一つ良い実を結んでいないことが思われています。

詩篇には、
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。旧約聖書 詩篇 第一巻 1篇1−3

このように主を信じる者には豊かな実を結ぶことが約束されています。

また、新約聖書には、神様が実らせてくださる御霊の実について次のように言われています。
御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。新約聖書 ガラテヤ 5:22

本当に、慕わしいですね。

しかし、残念ながら、私にこのような実が結ばれているのでしょうか? ノー

だからこそ、主は私を直腸癌から、また前立腺癌から私を癒やし、また、私が男性ホルモンが活性化する事のないように、薬と注射で、みだらな思いを持つことができないようにしてくださいました。

本当に、私の側では、生まれながらの欲望をただ満たすことしかできない者であることをつくづく実感しています。

酒のことでもそうです。離婚という出来事を通して私は一滴の酒も飲まないと決心させられました。
何よりもこの離婚を通して子どもたちに謝っても謝り切れない負債を負ったことを実感として受け取りました。
この負債は、私にとっては負いきれない負債でした。そこで、この私の罪が思われて全部イエス様に負っていただくしかなかったと今は思っております。
このようなことがあって、頑なな私も、イエス様が私に代わって十字架で死んでくださったことを存在を持って理解させられました。

ただただ、神様の憐れみによって滅ぼす代わりに神様の良きものを持ってこれからの私の人生を導いてくださいと祈るものです。
そして、この年まで神様は私を生かしてくださっているのは私の上に神御自身の御計画があるからだと思います。

私のためにお祈りください。

決して忘れてはならないこと

主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。旧約聖書 イザヤ2:4

日本が先の大戦を経験して学んだことで最大のことは何だったのだろうか。よく目を覚まして考えてみたいと思います。
戦後70年たって日本の国民が忘れてしまって取り返しのつかないことにならないようにと願っています。

敗戦を日本は経験しました。広島と長崎には原子爆弾が落とされ二つの市は壊滅的な廃墟となり、生き残った方々もそれこそ生き地獄を味わいました。
また、首都東京も焼夷弾で焼け野原となり、ほかの地方都市も空襲を受け日本国中が焦土となりました。

特に沖縄県は地上戦を経験して悲惨な国民を巻き込んだ戦いとなりました。さらに、アメリカの統治を日本が独立してからも続けて受けて、その土地は撤収されて基地となって日本に帰属した今も多くの基地が存在します。

日本が敗戦で大きな被害にあっただけではもちろんありません。特に、中国、韓国の国は日本の支配を大きく受け、韓国は日本の植民地となり大変な屈辱を味わいました。また中国は満州国という日本の傀儡国を作られて、日本の資源のために利用されました。

これら以外の国にも多くの被害、損害を与えたことは事実です。

これらの国の方々が日本を恨んだとしても不思議ではありません。

よく言われることがあります。加害者は忘れることがあっても、被害者は決して忘れないと。

それはそうでしょう。ひとつ殴られたら、十倍に返えしたいこれが人間の性とでもいえると思います。

それなのに今、日本がしたこれらのことを許していただいていることはなんと感謝なことでしょうか。

それで日本は、決意したのです。

戦争は二度と決してしないと。

武器を持つと使う。戦力を持つと利用しなければと、これも、人間の性です。

それで日本は憲法9条を明記した憲法をあの敗戦で受け入れて、日本の繁栄がもたらされたと私は考えています。

私も、先の大戦で父を亡くしました。私の母は実家に帰って私を育てました。

戦争になると、人間は人間でなくなります。まさに狂気の人間がそこには居るだけです。

この地にキリストの平和が支配しますように。

折れない心

見よ。私のささえるわたしのしもべ、私の心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。

彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。

彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。

彼は衰えず、くじけない。
ついには、地に公義を打ち立てる。
島々も、そのおしえを待ち望む。
 旧約聖書 イザヤ 42:1-4

旧約聖書のこのイザヤ書に登場するこの方はまさしく私たちが信じ、期待し、依り頼んでいる方、われらの主イエス・キリストの姿ではないでしょうか。

振り返って、私自身のことを思うとき、この方とはまったく正反対の存在であることを実感しています。
私自身無計画で、すべての事に中途半端です。思いつきだけで物事に取り組んでしまい、やろうとしたこともすぐに放り出してしまいます。

しかし、この弱い私のためにもイエスさまは十字架で死んでくださいました。感謝します。
新年にあたりこの弱い私に折れない心を与えてくださいと祈るものです。

コケイン症候群

メリー・クリスマス

ハレルヤ! 主の降誕を喜び、感謝し、賛美します。
さて、クリスマス・イヴ、クリスマスとみんなが喜び、楽しんでいます。
喜び、楽しむ、大切なことです。希望に満ちて生きていけることが私たちを元気にし、気力も満ちてきます。
しかし、またその影で難病に苦しみどうしたら良いか途方にくれておられる方もいます。

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなた方に告げます.彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。
人の子は、失われている者を救うために来たのです。
あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を探しに出かけないでしょうか。
そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。 新約聖書 マタイの福音書 10:10-14

わたしたちもこの難病に苦しんでいるかたがたに(本当に一握りの方々かもしれませんが)心を置いていたいと思います。

ハレルヤ! 天のお父さま、私たちの救い主、イエス・キリストを誕生させてくださってありがとうございます。
私たちのため、十字架につき私たちの罪をあがなってくださいました。
今は、心からハレルヤと言える者となった私たちです、あなたの御心を行うことができるものとならせてくださいますようにお願いします。戦禍の中にある方々、自然災害に被災された方々、日々の食料に欠いておられる方々、そのほか、いろいろな困難に直面されておられる方々をどうか助けてくださいますように。
この世界を、主の平安に満ち溢れさせてくださいますように。この願いと祈りを尊き主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

語り続けなさい。

恐れるな。語り続けよ。黙っているな。使徒18:9

神の愛、キリストの十字架、そしてすべての恵みをこれからも語り続けたいと思います。

今はインターネットの時代となっています。ブログも世に氾濫しています。そして何が真実であるのか、かえって分からなくなってしまっているのではないでしょうか。

本当のことば、信頼できることば、どこに見い出せるのでしょうか。

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。ヨハネ1:1

聖書はこの神であられることばが処女マリヤの胎に宿り誕生されたのが主イエス・キリストであると証言しています。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。ヨハネ1:14

神のことばの現れが主イエス・キリストですと聖書は言っているのです。

聖書は神のことばです。真実そのものです。真実の実態です。そして主イエス・キリストにあって実現しているのです。

聖書について、聖書自身が語っていることを記したいと思います。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。2テモテ3:17

聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。2ペテロ1:20ー21

今、私は神のことばである聖書を無心に読み受け入れ真実のことばそのものである主イエス・キリストに従って行きたいと、また従って行けたらうれしいと思っています。

泣く者といっしょに泣きなさい。

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。新約聖書 ローマ 12:15

本当に残念な事、悲しいことが起こってしまいました。

アルジェリアにおいて、アルカイダの分派によるテロ事件によってガス施設で働いていた日揮の従業員とその関連企業の方々また外国の方々が亡くなるという出来事が起こってしまったことです。

海外に出て行って、その国のためにまた自国のためにと志を高く持っておられた優秀な方々であったとのことで、企業にとっても、また日本にとってもまた、関係する国にとっても大変な衝撃を受けました。

この様な出来事は再び起こって欲しくありません。本人は元よりご家族、また関係する方々に深く弔意を表します。

アバ父、どうかこの悲しみ、心の痛み、つらさの中にある方々にあなたが真の慰めを与えてくだいますように。
そして、すべてのことにおいて支え、励まし、力づけてくださいますように。

この様な出来事が繰り返されることなく、憎しみの連鎖が断ちきられることを願います。