聖書について

聖書に対する私の基本的な姿勢

聖書(旧約聖書、新約聖書)は神のことばを記述した書である。

神のことばは生きている。

神のことばは事実となる。

みことばにできるだけ触れていたい。

聖書は何といっているか

主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失わていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。 旧約聖書 イザヤ34:16

まず、聖書を調べて読みなさいと勧めています。

そして、聖書は神が語られ、神の霊が集めたものであり、失われたものはなく必要なものは全て網羅されてあると、このように記載されています。

また、人の都合の良い勝手な解釈をしてはならないと言われています。

聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったからです。 新約聖書 Ⅱペテロ1:20,21

神のことばは事実となる。

雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種撒く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。

必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる。 旧約聖書 イザヤ55:10ー11

主イエス・キリストを救い主とする信仰を与える。

聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることが出きるのです。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 新約聖書 2テモテ3:15ー17

聖書を読み、神の知恵をいただき、イエス・キリストを信じ、救いをいただき、神の御こころにかなう歩みをし、神のしもべとなり、悔いのない人生を全うしようではありませんか。

聖書を読んでください!

神のみことばを受け取ってください!

みことばが、力です、いのちです、また事実となります!

ビジョン

日本の国が主イエス・キリストを信じる国になること。

幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。 旧約聖書 詩篇33:12

旧約聖書の詩篇33篇を読んでいるときにこの12節が心に留まりました。

本当にそうだ、日本の国が主イエス・キリストを信じる国になったらどんなにいいだろうかと思いました。

直接にはイスラエルの国のことが言われていると思いますが、しかし本当にそうだと思ったときに、日本の国のことが思われました。

日本の国は世界中に迷惑をかけた。

日本の国は戦前、韓国の国を植民地とし、

また中国に満州国をつくりあたかも自分のもののように振る舞い、

さらにアジヤ各地に進出して多大な迷惑を世界中にかけ最後は敗戦の憂き目に会いました。

私の父は戦死し、母は幼子を抱えて自分の実家にお世話になるしかないそのような状況に追い込まれました。

さらに日本は沖縄を始め、東京、広島、長崎、とほかにも戦禍を日本中が受けました。

 戦後復興は世界中の国の援助のお蔭である。

しかし、ただただ哀れみのゆえに世界中の方々の援助を受けて戦後復興を果たし、

いまや世界第2位の経済大国といわれるほどになり豊かな生活を享受できるほどになりました。

その結果国民は再びおごり高ぶる様相を見せ始めているように思います。

特に政治家の中には再び日本の国を戦争のできる国にしようとする動きが見られるようになっています。

戦争のできない国の幸い。 

のどもと過ぎれば熱さを忘れるのたとえのようです。

せっかく戦争のできない国になったのですから永久に戦争のできない国であって欲しいと思います。

そのためには主イエス・キリストを信じる国になるほかに道はないと思います。

『目には目で、歯には歯で。』といわれたのを、あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。 新約聖書 マタイ5:38、39

イエスはご自身を十字架につける者のために祈られました。『彼らの罪を赦したまえ。』と、このような方を信じてこそ日本の国が戦争のできない国になることができると思います。

神の守りは確かである。

しかしこのことに反論する多くの人々がいらっしゃいます、

それでは日本の国が他国の国に攻められて滅びてしまうのではないかと、しかし大丈夫。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

私の助けは、天地を造られた主から来る。

主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。

主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。 旧約聖書 詩篇121:1ー8

ここで私を私たちに、イスラエルを日本と置き換えて読んで見ましょう。最後に

主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。 旧約聖書 エレミヤ17:7

鍋掛祈りの家の成り立ち

鍋掛の地をめざして

その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」 旧約聖書 創世記 12:1

このみことばをいただいて東京都杉並区阿佐ヶ谷にある久遠キリスト教会から那須塩原市の鍋掛の地に来ることにしました。

しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 新約聖書 ユダの手紙 20、21

私はこの最も聖い信仰である十字架の福音、即ち我らの主イエス・キリストを信じる信仰を与えてくださった神と主イエス・キリストに、

そしてこの信仰を堅く持つに至るまで祈りまた具体的な指導をしてくださった私の信仰の父たち、母たちそして共に歩んでくださった愛する兄弟姉妹方に心からの感謝を言いあらわす者です。

主イエス・キリストを信じるようになるまでの経緯については自己紹介をご覧ください。

 献身

私が献身の思いを持ち始めたのはまだ久遠キリスト教会に来てからそんなに経っていなかった時期でした。

そして教会に来始めて間もないにもかかわらず、神学校に行きたい、また語学の同好会を創ろうかななどとも思ったりしていました。

そして、久遠キリスト教会内の久遠聖書学校の聴講生として聖書の学びをさせていただいていました。

しかしそれにもかかわらず、神学校への道は開かれず、むしろ働きの厳しさを学ばせられ、仕事仕事の毎日でした。

あまりに疲れ果ててしまって教会の隣に住んでいるにもかかわらず、聖日には家でへばって寝ている始末でした。

それでその当時は教会員に出会うのさえ恐れてしまっていました。

そんな中にあっても献身の思いはまだあって、五十五歳で、このままでは体を壊してしまうという思いもあり、また神学校をめざそうとも思い職を辞しました。

しかし、それでも神学校への道は開かれませんでした。

今度は、リュウマチの重い症状があり、まだその当時は介護制度がなく誰かが付っきりで介護をしなければやってゆけない状態にある兄弟がおりましたので、私が専門で介護をすることになりました。

それでも私自身は、通信制の神学校があればそれで学ぼうと思い、願っておりましたが、いつの間にかその思いも取り去られていました。

神の賜物と召命とは変わることがありません。 新約聖書 ローマ 11:29

しかしこのみことばは私の心の中にあって、ずーと留まっておりました。また次のみことばも、私の中にありました。

さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高きところから力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。 新約聖書 ルカ 24:49

それで、神さまからの召命が必ずあると思いながらも、都にとどまっていなさいとのみことばですので、そのまま久遠キリスト教会の中で教会のお仕事をさせていただいておりました。

また、心も体も病んでおられる姉妹との交わりも与えられ、ともに聖書を学び、又ともに祈ることもさせていただくようになり、主の奇しき偉大さをまのあたりにさせてもいただきました。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 新約聖書 マタイ 28:18−20

今、私は父なる神にこのように言います。

私を福音に仕えさせてください。あなたのみことばに仕えさせてください。

パウロに福音をゆだねられたように,私にもあなたの福音をゆだねてください,和解のみことばをゆだねてください。

私は今まったく普通のただ人です。肩書きは何一つありません。

しかしこんな私を用いてください。肩書きがあるとすれば、主よ、あなたの御名イエス・キリストの御名が私の唯一の肩書きですと。

 ただ、主イエス・キリストを紹介する 

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです、わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 新約聖書 ヨハネ 14:6

とおっしゃる主イエス・キリストを通してすべての人が天の御国へと旅発つことができればいいなと思わされています。

鍋掛に来た理由 

それではなぜ栃木県那須塩原市鍋掛の地に来たのでしょうか。

それは、私がまだ久遠キリスト教会に来る前スナックの経営をしていた時、母と私の共同で子どもたちのために家があればと思いバブル期に土地が売り出されていたのを購入しておいた土地が鍋掛けの地だったのです。

その後さまざまの出来事があって、実に三十年近くそのままになっていたのですが、私が年金生活をするようになって、今のアパートでは私の生活が成り立たないこともあり、

部屋代を払わなくともよいところがあることに思い至りました。

実はこの土地は私が使用することはしないで息子に譲渡するつもりでいたのですが、その前に使うようになるとは思ってもいませんでした。

神さまの語りかけと、いろいろな思いが与えられたこと。

 まず一つは、

幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。 旧約聖書 詩篇 33:12

このみことばで私は日本の国がこのような国、また民となったらどんなにかいいだろうかと思わされました。

それで、私は日々神に、日本の国を主イエス・キリストをおのれの神とする国にしてください。

お父さま、あなたが日本の国民を『わが子らよ、わが民よ』と呼んでください、と叫んでいきたいと思わされました。

 二つ目は、

神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。 新約聖書 使徒 2:17、18

今は終わりの日ですから、あなたが言われるように、どうかすべての人にあなたの霊を注いでください。

だれも聖霊によらなければ、イエスを主と言うことは出来ません。

ですから、聖霊によってすべての口が「イエス・キリストは主である。」と告白することが出来、あなたの御名がほめたたえられますように、と祈らされたい。

三つ目は

あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。 旧約聖書 詩篇 65:9

すべての聖徒のために、またすべての教会のために次のように祈りたいです。

天のお父さま、天にある無尽蔵の御霊を、大滝から水が流れ下るようにすべての教会とすべての聖徒お一人お一人の上に注いでください,愛の御霊を注いでください、そして溢れ流れさせてください、そしてあなたのご計画が実現しますようにと。

私の願い 

私自身は次のみことばのごとく生きられたらいいなあと思っています。

 ともにイエス・キリストを信じ、ともに祈り励ましあいながら天の御国へと凱旋する友だちが与えられること、

主の御腕に抱っこされて天の御国に連れて行っていただきたいということ。

主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。 旧約聖書 イザヤ 40:11

 お祈りのお願い

主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。 旧約聖書 詩篇 127:1

私たちの国籍は天にあります。 新約聖書 ピリピ 3:20

私はこの地に祈りの家を主が建設してくださることを願っています。

あの新潟地震で被災者が仮設住宅に住んでいらっしゃるのを見て私もあの方々のように、私は仮設住宅が与えられたら満足だと思わされています。

安心して住む所があって、衣食があればいうことはありません。

そのための必要のすべてが満たされますように、またこのような祈りの家が与えられることを祈ってくださいますようによろしくお願いします。

私の子どもたちのこと 

「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口においたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。 旧約聖書 イザヤ 59:21

この約束のみことばを実現してくださるように願っています。