私たちの救い主

クリスマスのシーズンが終わり、今度は新年を迎える準備と年越しで忙しくなりました。私たちの心も何かと落ち着かない日々を過ごしています。

しかしここで立ち止まって私たちのために誕生してくださった私たちの救い主に目を向けようと思います。

私たちの救い主イエス様が誕生する前からイエス様が誕生することは旧約聖書(イエス様の誕生前の聖書)にはっきりと予言されていました。

それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエル(神ともにおられる)と名づける。旧約聖書 イザヤ7:14

このことは民の祭司長やイスラエルの聖書の専門家である律法学者や聖書に詳しいパリサイ人たちによく知られていました。

しかし、この当時の権力者たちや、祭司長、律法学者,パリサイ人たちにとってはまさしくイエス様が誕生することは目の上のたんこぶのような出来事と受け取られていたのでしょう。

東方から来た博士たちがイエス様の誕生を当時のイスラエルの首都エルサレムに来てイエス様はどこで誕生されるのですかと尋ねた時ヘロデという当時の王やエルサレム中の人も恐れ惑ったと聖書に記されています。

ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの士族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、私のために、イスラエルの支配者になるものが出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。旧約聖書 ミカ5:2

この時の王ヘロデはまさしくライバルの王が誕生するわけですから心穏やかではなかったのでしょう。博士たちにわかったら知らせてほしい私も行って拝むからと言って送り出しました。

しかし、救い主イエス様に会った博士たちはヘロデのところに行ってはならないとみ使いに告げられて別の道を通って帰っていきました。

ヨセフと母マリヤはみ使いによってエジプトに逃れました。しかし、当時ベツレヘムの二歳以下の子どもたちはヘロデによって殺されてしまいました。

すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられた、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。新約聖書 ヨハネ1:9-11

救い主イエス様はすべての人を照らすまことの光であって。世界はこの方によって創造されました。そして世(ひとびと)はもともとこの方はこの世界におられたのにそれを知らないでいたし、またこの方を受け入れもしなかったと言われています。

救いに来たのに受け入れないとはまるで火事で家が燃えさかっているのに消火しに来た消防隊を受け入れないようなものではないでしょうか。

同じように私たちは見えているようで実は見えていないことがたくさんあります。

話を戻したいと思います。

実は、イエス様は私たちを罪から救ってくださるために来られた。ということです。

罪とはハマルテヤ(的外れ)ということです。的に当たらない、外れっぱなしということです。天地を創造され、人をその住む環境も整えたうえで誕生させてくださった神様から外れている。神様との関係が断絶している状態を言います。これが罪です。

この罪の状態からの回復のために、すなわち神様との関係を回復するために救い主である主イエス・キリストは誕生してくださいました。

罪の起源

初めに、神が天と地を創造した。旧約聖書 創世記1:1

その後、人間が住む環境を整えられた時、

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。 」

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。旧約聖書 創世記1:26-27

神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。旧約聖書 創世記1:31

神は第七日を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。旧約聖書 創世記2:3

安息日(聖なる日)とされました。

神である主は土地のちりで人を形作り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形作った人を置かれた。神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。旧約聖書 創世記2:7-9

神様は人が何不自由なく暮らせるようにしてくださいました。

神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」旧約聖書 創世記2:15-17

この命令が神様と人との関係をあらわしています。

神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」旧約聖書 創世記2:18

神は人のところにすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣をつれて来られましたが、ふさわしい助け手はいませんでした。

そこで、神様は人を眠らせ彼のあばら骨の一つからひとりの女に造り上げて人のところに連れて来られた。

人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。 旧約聖書 創世記2:23-25

こうして男女のカップルが誕生し、人類の歴史が始まりました。

さて、神である主が造られたあらゆる野の獣うちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。

しかし、園の中央にある木の実について、神は、「あなたがたは、それを食べてはならない、それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ」と仰せになりました。 」 旧約聖書 創世記3:1-3

ここで蛇が言った 「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」 という一言は女に、神に対する疑念を起こさせる巧妙なことばであったということだと思います。なぜなら神は人にそんなことはおっしゃておられませんね。

神が人におっしゃったのは園のどの木からでも自由にとって食べてよいとおっしゃられました。しかしただ一つの戒めである 善悪の知識の木からは取って食べてはならない。 とだけおっしゃられました。そしてそれを食べれば必ず死ぬとおっしゃられたのです。

女の蛇に対する返答もまた違いますね。園にあるどの木からでも自由に食べてよいのですと答えるべきでした。そして 善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。 と言われましたと答えるべきでした。それと余計なことも言っています。食べても触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだと神は仰せになりましたと答えています。

神がおっしゃっておられないことを蛇も女も言っているそして、神のことばをあいまいにし、神が善悪を知る木からとって食べれば必ず死ぬと人におっしゃったおことばを曲げて死ぬといけないからだと神のことばを弱めてしまっています。

ここに神のおことばに対する私たちの大切な態度、姿勢というものがあると思います。

そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。旧約聖書 創世記3:4-7

このようにして人は蛇の誘惑に負けて神様の命令を破り善悪の知識の木から取って食べてしまいました。そしてそれまで裸であることを恥ずかしいと思わなかったのにそれを恥ずかしいと思うようになってしまいました。

罪の結果

続きます。・・・・


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