鍋掛祈りの家

メリー・クリスマス

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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。 新約聖書 ヨハネの福音書 3:16

ハレルヤ! 主の降誕を喜び祝います。すべての民が主を賛美しますように。

 

* 主の降誕の理由

「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」 旧約聖書 イザヤ書 1:18

私たちは必ず死んだ後、神の裁きの座の前に立たなければなりません。これには例外はありません。

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御座から逃げ去って、あとかたもなくなった。

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。

また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。 新約聖書 黙示録 20:11-15

私たちは神の前にどのような存在でしょうか。

旧約聖書の創世記によれば、

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 旧約聖書 創世記1:26,27

また、神はこのように私たち一人一人に語りかけておられます。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 旧約聖書 イザヤ 43:4

人はこのように神のかたちとして創造されたので人のいのちは尊いし、また神は人を大切に思っていてくださっていると理解しています。

しかしながら,造られた人間のほうではどうだったのでしょうか。

神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。 旧約聖書 創世記 2:8,9

神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」 旧約聖書 創世記 2:15-17

神は人に一つの戒めを与えられました。

あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならないと。

しかし、妻が蛇の悪だくみによって善悪の知識の木からとって食べたその木の実を一緒に食べてしまって神の唯一の戒めを破ってしまいました。

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。

今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」 旧約聖書 創世記 3:21,22

これが、人類の神から離れた神を必要としないまた神のようになろうとする罪の姿です。

この罪の性質を受け継いで生まれた人間はすべて罪を宿す存在となりました。

 

それでも神は何とかして人類を救おうとされました。

まず、神様の命令を守ることによって人類の救いを成し遂げようとされたのです。

律法を行うことによる救いです。

旧約聖書に出ている律法を行うことによる救いの道をモーセを通して人類に与えられました。

それから神はこれらのことばをことごとく告げて仰せられた。

「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし,

わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。

しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。——–あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人——–

それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家をほしがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」 旧約聖書 出エジプト記 20:1-17

これがモーセの十戒と言われる律法です。この律法を完全に行うことによって救われるというのです。

しかし、律法を行って義とされるものは一人もいないのです。

それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

悟りのある人はいない。神を求める人はいない。

すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」

「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」

「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」

「彼らの足は血を流すのに速く、

彼らの道には破壊と悲惨がある。

また、彼らは平和の道を知らない。」

「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」

さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。

それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。 新約聖書 ローマ 3:10-20

このようにして律法の行いによっては神の義を全うすることはできません。しかし生まれながらの人間の性質は自分の頑張りや、自分の考えで神様に正しいと認めさせたいといつの間にか、思ってしまっています。

しかし、生まれながら罪を宿している人間はいくら頑張っても、いくら知恵を絞っても、初めから的外れなのですから、神様の求めておられる的には当たりません。

世界宣教のために使徒として最も活躍した、また律法を一生懸命学んだ、あのパウロでさえ、このように自分に絶望しています。

ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。 新約聖書 ローマ7:12

しかし、パウロが律法の戒め「むさぼってはならない」と言われたことを守ろうとしたときにあるゆるむさぼりを引き起こしましたと言っています。

私には、自分のしていることが分かりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分の憎むことを行っているからです。 新約聖書 ローマ 7:15

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、体から、私を救い出してくれるのでしょうか。 新約聖書 ローマ 7:24

これはパウロだけではなく、この私も、また あなたも同じように叫ばれたのではないでしょうか。

では神はどのようにして人類を救われるのでしょうか。

 

救い主、主イエス・キリストを信じる信仰による救いの道です。

 

しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。
すなわち、 イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、

何の差別もありません。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それはご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されてきた罪を神の忍耐をもって見のがしてこられたからです。

それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく信仰の原理によってです。

人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。 新約聖書 ローマ 3:21-28

それでは、私たちは信仰によって律法を無効とすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。 新約聖書 ローマ 3:31

 

しかし、パウロはこのように神に感謝しています。それはキリストによって罪の体から、律法から解放されたからでしょう。

私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。 新約聖書 ローマ 7:25

私たちが神によって義とされるのはすなわち罪を許され神との正しい関係に戻されるのは、
罪を持った私たちの代わりに罪なき神の御子イエス・キリストが十字架上で神の刑罰を受けてくださり、私たちが行くはずの黄泉にまで下ってあらゆる神の裁きを受けきってくださり、そこから復活してくださったことによってのみ実現したのです。

その時に私たちもキリストの十字架の死を共にしまたキリストの復活にもあずかる者とされたと信じることによるのです。

私はキリストともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 新約聖書 ガラテヤ 2:20

さて、このようにして、主イエス・キリストが私たちの救い主でありまた贖い主であり助け主であると信じても、それでは信じた私たちがどのようにして信仰を保つことができるのでしょうか。また、信じ続けることができるのでしょうか。

私たちは弱い者たちです。私たちは羊に、イエス様は羊飼いにたとえられます。

まさしく、的を得た例えではないかと思います。

イエス様は、言われました。

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。 新約聖書 ヨハネの福音書 10:11

まさしくイエス様は私たちのためにいのちを捨ててくださいました。

そして私たちを神様の愛の懐の中にすっぽりと包みこんでくださっています。

神様の愛が満ち溢れている場所とはどこでしょうか。キリストの体なる教会(例えれば羊の牧場)の中ではないでしょうか。

それならば私たちはキリストの体なる教会に加わるべきと考えます。

しかし、この世にある教会はいろいろな方々の集合体ですのでいろいろ問題も多いのではないかとも思いますが、しかし、キリストを信じて集っているのですから、そこには私たちの愛するまた愛してくださるキリストがいらっしゃいます。

そのキリストに信頼しましょう。そのキリストにより頼みましょう。

羊には牧草と水もまた必要ですね。食べ物、飲み物は何に例えたらよいでしょうか。

それは、みことばと聖霊に例えれば良いのではないでしょうか。

みことばが私たちの食べ物で、聖霊は水に例えられますから、聖霊が私たちの飲み物です。

神様が与えてくださる、みことばと飲み水を食べ飲みしてしかも信頼できるイエス様が牧者となってくださっている教会生活が本当に楽しみです。

 

* 受胎告知

御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。

この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。

御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。

すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を生みます。名をイエスとつけなさい。

その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」

そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女と言われていた人なのに、今はもう六ヶ月です。

神にとって不可能なことは一つもありません。」

マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。新約聖書 ルカの福音書 1:26-38

受け入れがたい出来事

この聖書の箇所は受胎告知といわれている大変有名な聖書の箇所ですが、人間的な常識で読むならばこんなことはありえないとも言える箇所です。

マリヤ本人もそんなことはありえませんと言っています。

まだ、結婚して夫婦生活もしていなくてどうして子供ができるのか、そんなことはありえませんと即座に否定しています。しかもマリヤは処女でした。

しかし、マリヤは神に対する信頼と信仰、そして本当に心の貧しい女性だったのでしょう。

神が遣わした御使いの話しに耳を傾けることができたのです。

また、御使いも順々とマリヤに語りかけてマリヤの不安やためらいを取り払ってくださいました。

そしてマリヤは言うことができたのでしょう。

ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。

 

* 神のことばの真実

そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。

そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。

エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。

そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。

私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。

ほんとうに、あなたのあいさつが私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」 新約聖書 ルカの福音書 1:39-45

子どもを胎内に宿した女性同士の会話がここでなされています。

女性同士のあい通じるものがあったのでしょう。

また二人の女性が、熱い神への信仰と信頼があったことが思われます。

二人とも心貧しい者同士であったのでしょう。

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。

 

* インマヌエルの誕生

水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。旧約聖書 イザヤ11:9

わたしたちの救い主である神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。新約聖書 1テモテ2:3-4

日々の聖句(ローズンゲン)2015-12-07

わたしたちの救い主であるイエス様の誕生を心から喜び感謝します。

ユダヤのベツレヘムの家畜小屋に誕生された幼子が、救い主であることをすべての人々が知ることができますようにと祈ります。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)新約聖書 マタイの福音書 1:23

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった時、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。

そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。

彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。」

「ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。」

そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。

そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」

彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ,東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。

その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうといています。」

そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。

そののち、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。新約聖書 マタイの福音書 2:1-16
イエス様が誕生された時の経緯がマタイの福音書に書かれているところです。ほかにもルカの福音書、

ヨハネの福音書にも書かれているので、お読みになっていただきたいと思います。

このマタイの福音書を読んだだけでも、あらかじめ、救い主キリストであられるイエス様が誕生されることは知らされていましたが、いざ、誕生されるとき当時の王や、エルサレムの人々はどのような態度でイエス様の誕生を迎えたのでしょうか。

そして、今はどうでしょうか。クリスマスが真の救い主イエス・キリストの降誕を祝い、喜ぶ日と本当になっているのでしょうか。

 

* マリヤの賛歌

リヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。

主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。

力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、

そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。

主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き下ろされます。低い者を高く上げ、

飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。

私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」 新約聖書 ルカの福音書 1:46-55

マリヤが聖霊によって思わず主をあがめ賛美しました。

御霊が語らせるままにマリヤが語った賛歌だと理解しています。

特に今回私が思わされていることがあります。それは、マリヤの心貧しい姿です。

いろいろ受け入れがたい出来事もマリヤの心の貧しさが人類の救いにつながる出来事となったのではないかと思っています。

主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。

 

* 救い主のしるし

さて、ユダヤのベツレヘムという土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」

そして、急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを探し当てた。

それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。

それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。

しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 新約聖書 ルカの福音書 2:8-20

 

救いと無縁と思われる人々に告げ知らされた良きおとずれ

聖書(旧約聖書、律法の書)と無縁と思われる羊飼いたちに救い主の誕生が告げ知らされたことに神様の大きな深いお心を感じます。

そして、御使いに告げ知らされことを自分たちの判断や基準で聞いたのではなくすなおにすっぽりと御使いの話を受け取ったそのありようは。

耳のある者は聞くがよいとの主の勧めを具現していると思います。

あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。

そして、羊飼いたちはこのみどりごを見て、失望したのではなくしっかりと救い主のしるしを受け取ったのだと思います。

羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

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