鍋掛祈りの家

罪からの決別

たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。 旧約聖書 イザヤ 1:18

罪とは

罪とは当たる所に当たらない、的外れということです。私たちの不幸は、この罪にあります。

アダムが神の戒めを破って以来全人類に及んでいるこの罪から決別することこそ、人の幸せがあります。

この罪、的外れは今や全世界にはっきりと見られるのではないでしょうか。

戦争、民族間の争い、殺人、金儲け第一主義、人間を人間扱いしない単なる労働力としてしか見ない企業の姿、人をだますおれおれ詐欺、交通事故のひき逃げ事件、絶望しての自殺等。

まことに痛ましい出来事が毎日起こっています。

しかし、これらの罪がいかに深刻であっても、もし喜んでわたしに聞こうとするなら、雪のように白くなる。また羊の毛のようになると神のことばは宣言しています。

このようにおっしゃってくださる神さまの御声に聞いていきましょう。

罪に対して死んだ者

それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。

絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。

それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。

なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。 新約聖書 ローマ 6:1ー11

罪の中にとどまることは私たちを常に不安にします。神を恐れ、人を恐れます。平安がありません。しかもその行きつく先は死であり、滅びです。

そのためにこそ愛なる神は、私たち人類を憐れんでくださり、唯一の神の子主イエス・キリストを世に遣わしてくださり私たちの身代わりとして十字架につけて屠ってくださり私たちの罪を赦してくださいました。

罪を赦された私たちはどう思うでしょうか。

私たちはもはや罪を犯し続けることはできないのではないでしょうか。しかし、それにもかかわらずあいもかわらず何度も罪を犯しつづけてしまいます。

これが主によって罪赦された私たちの現実です。

しかし、決定的な以前との違いがあります。罪を犯すことに平気ではいられなくなっているということです。

自分の努力で罪から離れることはできません。ただ形を変えるだけです。

人間にはできないことも神にはできる。 新約聖書 ルカ 18:27

そこで神は私たちをキリストとともに十字架につけて葬ってくださいました。そしてキリストとともに生きる者としてくださいました。

私たちはもはや死んだ者です。同時に罪にも死んだ者です。

このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。 新約聖書 ローマ 6:11

このみことばが私たちにはっきりと受け取ることができますように。

私の身に起こったこと 

従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、

あなた方を召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。

それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。 新約聖書 1ペテロ 1:14-16

今回、私の身に起こったことを考えております。

最初は、直腸癌から来る腸閉塞で入院をして直腸癌を摘出手術をしました。

その後、経過はよく今に至るまで、順調に回復しております。

しかし、今度は前立腺癌が蔓延していて骨にまで転移していました。

骨に転移をしているので手術はできないとのことで、ホルモン療法と免疫を高める方法で、

今は、経過を見ております。

もちろん、私の罪がこの結果を招いたことですが、その背後には主の聖さにあずからせようとの主の御愛があったと思っています。

私には、ポルノを見たり、読んだりする習慣から抜け出せていない悩みがありましたが、

ホルモン療法をするということで、この習慣から離れることができました。

自分の力で、この罪から離れることができない私を主はあわれんでくださったと今はむしろ感謝しています

何事もなくことが進んでいれば、相変わらずに罪を犯し続けていたでしょう。

見えるところ最悪に思えることの中に、主の御愛が満ちていることを体験させていただきました。
その後の検査によって骨には転移していないことがわかりました。
主は、罪から離れることのできない私をあわれんでくださってわたしに従いなさいとおっしゃって下さいました。

あらためて、主の歩まれたその御跡に従って歩まされたいと願わされています。

主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。

悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。

主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。

私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。

わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道はあなたがたの道と異なるからだ。

  ────主の御告げ────

天が地よりも高いように。わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、

わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 旧約聖書 イザヤ 55:6-9

罪からの決別がどんなに大切なことか、またそれが神との和解となって、心の平安となるのかを今しみじみと思っています。

ハレルヤ! その後の検査によって骨には転移していないことがわかりました。